1970年代のべリカード

1974年から1979年にかけて集めたベリカードです。

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ラジオ韓国
右側は私の持っているカードの中で一番古く1974年4月の受信です。この局を聞き始めたのは1972年ごろからで夜10時からの日本語放送を 970kHzで受信していました。当時はまだラジオ韓国と言わずKBS国際放送としか言わなかったので、TBS国際放送と聞き間違えて20kHz下の TBSラジオの国際放送版だと思っていました。中波では他に深夜0時から釜山中継の890kHzがありましたが、こちらは夜が遅いこともあり 聞く機会はあまりありませんでした。

HLDA アジア放送
韓国の済州島からコールサインHLDAで放送されていたFEBC系列の放送でした。中波の1570kHzでしたが 970kHzのラジオ韓国よりは安定していました。右側はべリカードではなく、記念カードです。

東洋放送
韓国の東洋放送です。スポラディックE層によるFM放送を受信しました。1976年8月11日の午後5時半ごろの受信です。周波数は89.1MHzで、 出力は1kWとのことですが、強力に受信できました。

朝鮮中央放送
初めて聞いたのは中波の630kHzで、そのころは音質が悪い上に「こちらはピョンヤンチョソン中央放送局です。」と言っていたので初めは どこの局かわかりませんでした。なお、昼の12時からの放送でも630kHzで放送していて、ループアンテナを使うと福島でもまともに受信できて いたので、日本海沿岸では良く聞こえていたのだと思います。かなり強力な送信機だったのでしょう。送信所は清津(チョンジン)だったようです。

北京放送
初めて聞いた周波数は1040kHzで、非常に強力でした。一番右側のベリカードは朝鮮語で受信報告を出したときのものです。ラジオの製作の 記事にあった朝鮮語での受信報告の書き方を参考にしました。ちなみにこのベリカードの裏にはハングルで色々書いてありますが未だに 何が書いているのかがわかりません。

自由中国の声
当時は送信設備が古かった(日本統治時代のもの?)ため、電波は強力でしたが音質が悪く聞き取るのが大変でした。日本の歌謡曲の 中国語版がよく流れていました。

ベトナムの声
BCLを始めた頃はまだ北ベトナムと南ベトナムに分かれていまいたが、このベリカードを入手したときは統一されていました。戦争終結した ときにこの放送を聞いたところ、突然ラジオからバンバンと音が流れてきたので戦闘の様子が流れているのかと思ったら、ハノイ市内で 市民が戦争終結を祝った爆竹の音でした。

All India Radio
午後7時から15.190MHzの英語放送が強力に受信できました。ISがなんとなく不気味で、今にもコブラが出てきそうな曲でした。また、 アナウンサーの声と一緒に柱時計のようなカチカチ音が聞こえていました。

Radio Tashkent
旧ソ連邦内のウズベク共和国(現在のウズベキスタン)からの放送です。午後9時ごろから25mバンドで比較的良好に受信できました。

Radio Yelevan
旧ソ連邦内のアルメニア共和国からの放送です。昼12時からの北米向けシベリア中継が強力に受信できました。ほとんどがアルメニア語放送で 確か日曜日に5分間だけ英語番組がありました。きれいなインターバルシグナルが印象的な局でした。ベリカードはシンプルで 薄紙でしたが、書留で届きました。海外から書留で郵便を受け取ったのはこの局だけです。

Israel Broadcasting Authority
午前5時からの英語放送を受信したときのカードです。受信は困難ではありませんでしが、早起きが苦手だったため (今でも苦手です)、この時間の放送はほとんど聞いた記憶がありません。

ラジオ オーストラリア
日本語放送は毎日強力に受信できていました。ベリカードはどれもA5サイズ程の大きさで私の持っているベリカードの中では一番大きいカードです。

National Broadcasting Commission of Papua New Guinea
私の持っている唯一のベリレターです。60mバンドで国内向け放送ということもあり、信号は強くありませんでしたが、比較的安定して 受信できていました。

Radio New Zealand
当時は、出力が5kWか7.5kW程度だったため、あまり強力に受信はできませんでしたが、弱いながらも安定して受信できていました。その後 出力が100kWに増強され、強力に受信できるようになりました。

BBC
午後8時から9.725MHzで番組をよく聞いていました。9.725MHzは極東中継波でしたが、コンディションがよいときはロンドン からの直接波18.080MHzも受信できました。なぜかBBCのべリカードはいつも白黒でした。

ドイチェベレ
かつては幻のドイチェベレと言われるぐらい受信が困難な局だったそうですが、私が受信していたころは比較的受信しやすい 局でした。

Radio Nederland
午後11時半からのマダガスカル中継の英語放送がよく受信できていました。初めて英語で受信報告書を書いたのがこの局です。Radio Nederlandは 夕方のインドネシア語放送が13mバンドでよく受信でき、コンディションが悪いときでも13mバンドで唯一受信できた局だったりしました。

Swiss Broadcasting Corporation
夕方の4時から19mバンドで比較的良好に受信できました。平日でも学校が終わってすぐに家へ帰ると間に合う時間だったので、 結構頻繁に受信していました。

Trans World Radio
モナコからの放送で、1975年5月3日の午前3時から11.795MHzで受信しました。祝日だったので夜更かしをして受信を していたのだと思います。

Radio Nacional de Espana
当時からスペイン語の響きに魅せられてスペイン語を何とかものにしたいと何度かチャレンジしましたが、未だにものになっていません。 諦めたわけではないのですが。

Radio Sweden
21時半から15.275MHzでよく受信できていました。この局の開始音楽はNHKの料理番組の音楽によく似ていました。

Radio Sweden SSBテスト放送
Radio SwedenによるSSBのテスト放送のベリカードです。夕方に17.775MHzで受信しました。ピーク電力が30kWとのことでしたが、よく 受信できていました。結局SSBの本放送はありませんでした。

Radio Praha
よく聞こえていた英語放送は、17時からの13mバンドと23時半からの25mbでした。ちなみに、このベリカードは印刷ではなく、写真の 印画紙のようです。一枚一枚現像していたのでしょうか。当時の社会主義国は全般的にサービスがよかったのですが、この局は 定期的に英語版の宣伝雑誌(確かLIFEと書いてあったような)を送ってくれるというサービスの良さでした。

Radio Bucharest
深夜12時ごろの英語放送がよく入っていました。この局のインターバルシグナルは曲の途中で突然終わってしまうような感じがします。 当時はルーマニアが独裁政権だったとは知りませんでした。

Radio Budapest
深夜の英語放送が比較的安定して入感していました。何年か前にインターネットでこの局の番組を聞いたとき、例のインターバルシグナルが 流れてきて本当に懐かしく感じました。

モスクワ放送
初めて受信した海外放送がこのモスクワ放送です。1250kHzで毎晩強力に入っていました。初めて手にしたベリカードはモスクワ放送の カードでしたが、残念ながら失くしてしまいました。

平和と進歩放送
この局の名前を聞いてほとんどの人が思い出すのはあの不気味なISでしょうか。英語放送もありましたが、聞こえてくるのはほとんど中国語放送 でした。ベリカードはカードと呼べる厚みはなく、普通の紙の厚さでした。

Radio Kiev
午前9時半からの英語放送が強力に受信できていました。ウクライナからの放送ではなく、ウラジオストクかハバロフスクからの中継放送 だったのだと思います。

Radio Cairo
早朝に比較的受信しやすい局でしたが、早起きが苦手だったので、あまり聞く機会はありませんでした。そんなことで、この局に限らず 早朝が狙い時のアフリカ局はあまり受信していませんでした。

Radio RSA
一番よく聞いたアフリカ局です。11.900MHzで深夜0時からスワヒリ語、1時から英語の順で番組が始まっていました。この局へ受信報告を 出したところ、しばらくRadio RSAの雑誌が何度か届きました。ホームランド「シスカイ」の特集を組んだりしていて、アパルトヘイト 政策の一環だったのでしょうか。

Voice of America
ギリシアのKavala中継を受信したときのベリカードです。以前は沖縄からも中継されていたそうで、送信所のそばでは電球に電線を つないだだけで灯りがついたとの話を聞いたことがあります。本当かどうかはわかりません。

国連放送
国連放送は、土曜日に10分間だけ日本語放送がありました。10分単位でアジアの各国語の放送が続いていました。確か日本語放送の 後はタガログ語放送だったと思います。

KGEI 友情の声
日本語放送以外にもスペイン語放送がよく受信できていました。FEBCやHLDAと同様にKGEIもベリカードを入手するには、一週間全部の番組を 聞いて報告をするというもで、結局実行できませんでした。一回の放送のみの受信報告では右側の記念カードが送られてきます。左側は受信報告を 国内の窓口へ送らずに直接KGEIへ送ったところ送られてきたカードです。これがベリカードなのかはわかりません。

AFRTS
AFRTSは夕方から夜の時間帯に9.700MHzで安定して聞こえていたので、パイロット局として重宝していました。当時使っていた スカイセンサー5800のダイヤルではおおまかな周波数しか読み取れないので、9.690MHzのRAE(アルゼンチン国立放送)に チャレンジするときは、このAFRTSを使って周波数を合わせていました。

wwv
コロラドにある時報局です。JJYと同じ5MHz、10MHz、15MHzで放送していたので、周波数をあわせるのは簡単でした。 毎分50秒を過ぎたあたりから時刻のアナウンスが流れていました。

WWVH
ハワイにある時報局です。JJYと同じ周波数で毎分45秒から時刻のアナウンスが流れていました。JJYは1時間に2回しか時刻 アナウンスが流れないので、時刻を知るには不便でしたがこの局とWWVは毎分、時刻がアナウンスされるので、 便利でした。

Radio Habana Cuba
午後3時半からの英語放送は休みの日によく聞いていました。インターバルシグナルに続いていかにも国歌らしい国歌が流れて番組が始まって いました。この局はエスペラントの番組もあり90年代は時々聞いていました。

HCJB アンデスの声
午後8時から8時半まで9.725MHzでBBCを聞いたあとは、10kHz周波数を下げて、8時半からのHCJBをよく聞いていました。 南米の局でしたが受信は比較的安定していました。

Radio Rumbos
ベネズエラの国内局です。当時は夕方の中南米をよく狙っていました。特に49mバンドと60mバンドは珍しい局がよく出没していたので 毎日、学校から帰ると夕飯までラジオに釘付けでした。

Radio Nacional de Brasilia
ブラジルの海外向け放送ですが、この局はあまり聞いた記憶がありません。むしろ国内向けのブラジル局ばかりを追いかけていました。

Radio Diario da Manha
ブラジル局です。31mバンドで比較的受信しやすい局でした。この局からベリカードが届いたのは受信報告を出してから1年2ヶ月も後のことでした。

Radio Nacional (Argentina)
アルゼンチンの国内局です。当時RAEは受信が困難でしたが、この局は比較的よく聞こえました。ただし、周波数が6.060MHzと日本短波 放送と5kHzしか離れていないので、当時のラジオでは混信が避けられませんでした。



ここからは国内の放送局のベリカードです。


北海道放送
左側が1975年3月4日の受信、右側が1977年9月16日の受信です。周波数はどちらも1290kHzです。

札幌テレビ放送
1977年10月に1440kHzで受信したときのベリカードです。

秋田放送
1977年11月23日に940kHzで受信しました。受信時刻が午前9時ごろなので、地表波による受信のようです。ちなみにベリカードには 送信機が東芝製の3kWで終段が8T33Rのプレート変調と書いてあります。

岩手放送
720kHzでの受信です。

東北放送
1260kHzでの受信です。

山形放送
920kHzでの受信です。

ラジオ福島
1100kHzでの受信です。地元の局なので、ゲルマラジオでも聞いていました。1100kHzでは信越放送も放送していたので、夜になると 多少混信がありました。時々同じ番組が何秒かずれて聞こえたりしていました。
こちらから、 当時の放送終了の部分を聞くことができます。

新潟放送
1120kHzでの受信です。ベリカードは絶滅してしまった佐渡のトキシリーズでした。

茨城放送
1200kHzでの放送で、受信は昼間の地表波でした。

栃木放送
1530kHzでの受信です。

TBSラジオ
950kHzでの受信です。東京の大出力局は福島では昼間でも内蔵バーアンテナで弱いながらも受信できましたが、一辺が1m程の ループアンテナを使うとローカル局並に受信できました。

TBSラジオ BCLジョッキー
TBSラジオのBCL番組BCLジョッキーでは専用のベリカードを発行していました。放送が深夜の0時45分からだったため、 毎日のようには聞くことができませんでした。

文化放送
1130kHzで放送していました。当時の大半の民放ラジオ局は夏になるとナイター中継をしていましたが、この局は通常の放送を 流していました。また、日曜日の午後は、ループアンテナを使って歌謡番組をよく聞いていました。

ニッポン放送
1240kHzでの受信です。「欽ちゃんのドンといっていみよう」や江戸川乱歩シリーズのラジオドラマをよく聞いていました。 当時一番よく聞いていたのがニッポン放送だったと思います。

ラジオ関東
1420kHzでの受信です。当時は出力が30kWでしたが、現在は100kWにパワーアップされ、名前もラジオ日本に変わっています。Radio Japan も日本語放送ではラジオ日本と言っているので紛らわしいですね。以前、ゲルマラジオでこの局の送信所のそばで聞いたところ、アンテナ なしでもガンガン聞こえました。

日本短波放送
当時は日本短波放送(NSB)と呼ばれていました。左側は20周年記念のベリカードです。ハロージーガムをはじめ、BCL番組や アマチュア無線番組をよく聞いていました。

日本短波放送 ハワイ局KZOO
1978年11月23日にハワイのKZOO局の放送がNSBで生中継されたときのベリカードです。海外の放送を高音質で聞いたのはこの時が 初めてです。

日本短波放送 ハロージーガム
日本短波放送で放送されていたBCL番組、ハロージーガムの受信報告を出したところ、ベリカードと一緒にこのカードも 送られてきました。ベリカードではないようです。

JJY
短波での放送は終了してしまいましたが、現在は電波時計でこの局を毎日利用しています。当時は毎時39分と59分に時刻アナウンスと 共に電波の伝搬状況もモールスで流していて、異常状態発生のモールスが流れると珍局が受信できるのでは?と喜んでいました。 なお、この二つのベリカードは同じようですが微妙に違います。

FM東京
FM東京は毎年ベリカードのデザインを変えていました。左から右へ1975年〜79年になります。当時は福島の山間部に住んでいましたが 7素子の八木アンテナを使ってこの局を受信していました。フェージングを伴いながらこんな風に 受信できていました。音声ファイルはReal Audio(RM)形式になります。

中部日本放送
1050kHzでの放送でした。

東海ラジオ放送
1330kHzでの受信です。

近畿放送
1140kHzでの受信です。

朝日放送
1010kHzでの受信です。

毎日放送
毎日放送では1210kHzから1180kHzへ周波数が変更されました。それぞれの周波数でのベリカードです。左のベリカードにはテストパターンが 写っていますが、拡大写真よく見るとNTTと 書いてあります。当時はまだ電電公社と呼んでいましたが、業界内では当時から略称としてNTTが使われていたようです。

ラジオ大阪
1310kHzでの受信です。

ラジオ関西
560kHzと民放としては一番低い周波数でした。ベリカードの解説を読むとアンテナは高さが120mで2本使って指向性を出している ようです。

山陽放送
1490kHzでの受信です。

四国放送
1280kHzでの受信です。

RKB 毎日放送
1270kHzでの受信です。

FM福岡
Eスポで受信し受信報告を出しましたが、ベリカードを発行していないとのお詫びのはがきが届きました。さらに、配送の途中ではがきが 破れてしまったらしくセロテープで修繕されていました。


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